どうも、精神的な病で長いこと自宅療養していたchicacoです。
現在では全く薬も飲まずに日々の生活が送れており、睡眠薬も12年以上飲みましたが現在は飲まずに眠れています。
私が当時悩んでいたことに、「寝ても寝ても疲れが取れない」「なぜか体力が休むことによって回復しない」こういったことがありました。
今回はこのカラクリと、実際にちゃんと休まる方法についてまとめます。
精神的な病でない方でも、自分を責める癖のある方などには参考になるかなと思います。
休んでいるハズという思い込み
まず、当時の私は『休む=寝る』ことなんだと思っていました。
「横になる」「眠る」「何もせず横たわる」こういったことこそ、休むということなんだと考えていたのです。
しかし、何年間休み続けても全く体力も回復せず、むしろ疲弊していくばかりで、最終的にはほぼ寝たきりの生活となりました(1日1食、トイレとご飯以外体を起こせず、お風呂は月1~2回)。
当時は、
・何もしていないはずなんだから、疲れるわけがない
・何もせず休んでいるのだから、休まっているに違いない
・それにもかかわらず何も出来ないということはありえない
・ということは、私は疲れたフリをしてズル休みしているに違いない
……こういった思考回路が働いていました。
元々自責の念が強かった私ですが、当時は人生の中で自責の念の強さがピークだったと思います。
しかし今では、この考え方こそが間違いだったと感じています。
『休んだのだから、疲れはとれている』という思い込みは、もしかしたら私と同じような自分をつい責めがちな方には当てはまるかもしれません。
『何もしていないんだから疲れはとれている』『なのに何もしない私』といった感じです。
でも、そもそも問題が1つあります。
「寝る」「横になる」「何もしない」=「休んでいる、休めている」というのは、本当でしょうか?
うつの時は自分を責め続けていて休めなかった
私の当時の考え方では、「休む=寝る・何もしない」という公式が出来上がっていました。
しかしそれは間違いないのでしょうか?
『寝る・横になる・何もしない』というのは、体の状態を指します。眠っている状態・横になっている状態・仕事や家事ができない状態のことです。
確かにこれだと、体は休まるハズだと考えるのも無理はありません。
でも、もしここが武装地帯であればどうでしょうか。いつ何が起こるか分からないような場所で、しっかり休めるのでしょうか。
例えばもしここが監獄で、看守が入れ代わり立ち代わり罵倒しに来ているとします。こんな場所で、しっかり休むことができるのでしょうか。
いやいや無理だろう、と思うのではないでしょうか。
自分を責め続けているということは、脳からすると「ここは常に誰かから攻撃される危険地帯」であると感じてしまうのではないかと思うのです。
私が病気が治って感じたことは、うつ病などのメンタルの病を抱えている人は、自分嫌いだということです。
私はメンタルを病んでいる時の方が友達が多く、よく話をしていた子だけでも10人以上いましたが、全員、自分を嫌っていたり責めていたりしました。
四六時中、自分で自分を責めているのです。もちろん私もそうでした。
なぜ心を休めないと体は休まらないのか
当時は、夜も眠れず体もこわばり、力が入って痛くて、ずっとドキドキとした状態のままでいるような感じでした。
四六時中、自分を罵倒し、責め、なじるような言葉を頭の中で自分自身に浴びせていました。
こうなった場合、心はきっと戦闘状態のままになるのだと思います。自律神経の、交感神経が優位になっている状態でしょう。
交感神経は、ストレスを感じていたり緊張している時に活発になる自立神経です。ずっとこちらだけ働いているとしたら、自然と体も『休める状態ではない』ということを理解し、いつでもパッと動けるような状態に体を保つでしょう。
ということは、交感神経優位の状態で身体だけ横になってみても、本当の意味で休めていなくて当然なのです。
交感神経の働きを抑えるための方法
例えば上司に怒られたとか、大きな仕事を任されて緊張しているとか、こういう時に交感神経がよく働きます。
私が自分自身を責め続けていた時、交感神経はよく働いていたことでしょう。ずっと1日じゅう、責め続けられているのですから。
ある時、私は空白期間も10年を超え、もう本当にどうにもならないと諦めの境地になり、考え方が全く今までと正反対の方向へ変わりました。
「今までやってきたこと全部、もし正解だったら今頃働けてるはずだ。でも今人生で一番疲れている。今までやってきたことは、心身を治すためには方向性を間違ってるのでは?」
「むしろしっかり休んでやる!これが今まで唯一やってこなかったことだ。外から見たら何もしてなかったかもしれないが、私はしっかり本当に休んだことはないんだ」
「今更どうにもならないんなら、しんどいのは嘘じゃないし、罪悪感なんか感じずにめちゃくちゃ休んでやる!」
「もうこれからは、罪悪感を感じたり自分を責めたりせず休んでやる!」と思い立ち、しかし「でも休むってどうやるんだ?」という疑問を持ちました。
ここで私は、『何とか交感神経を沈め、副交感神経を優位にし、しっかり本当の意味で休めれば体力が回復するかもしれない』という仮説を立てました。
副交感神経を優位にするということは、リラックスするということです。自分を責め続けないということです。
『まずは自分が自分自身に浴びせかけている罵詈雑言をやめよう』と考えたのです。
これこそ、交感神経優位で休まらないのを、副交感神経優位で休まるようにする私なりの方法でした。
最初は1分自分を責めないところから
何をするにも、最初からうまくいきません。まずは『1分間だけ自分で自分を責めない』という挑戦を始めました。
時計を見て、1分間我慢です。
意識してみると驚くことに、ずっとずっと絶え間なく、自分で自分を責めまくっていることに気付きました。
次はもう少し時間を伸ばして、3分間自分を責めない、5分間自分を責めない……という風にしてみます。たった数分で、何百という自分を責めたりなじったりする言葉を自分自身に吐いていることに気付きます。
これじゃ心も休まらず、その結果として交感神経が強く働き、体も休まらないだろうと思いました。
しばらく(と言っても私の場合数年単位ですが)この試みを続けたところ、少しずつ「自分で自分を責め抜く」という習慣を脱することが出来ました。
それにつれ、少し眠った後に「休んだ感じ」がするようになっていったのです。
自責グセはやめよう、しっかり休んで回復できます
思うに、自責グセは自分の心も体も休まらなく(=回復しなく)してしまいます。
そうなると体も休まらず、どんどんとパフォーマンスも低下していき、最終的にガス欠になってしまうかもしれません。
でももしうまく休めるようになったら、体も休まり、自然と何かできることが増えていきます。私も実際そうでした。そうなると、家の手伝いもできるようになり、介護も手伝えるようになり、ちょっとしたバイトへ出たりもできました。
今まさに何も出来ないという方からしたら疑わしいかもしれませんが、もし心も体も元気だと仮定してください。ずーっと何もせず横になっていられるでしょうか?思わず何かしたくなってしまうと思いませんか?
自責をやめることは自分のためになるだけでなく、最終的には『人のため社会のために役に立てる自分』へと繋がるのではないかと思うのです。
「誰かのため、社会のために役立っていないといけない。でも自分には横になっていることしか出来ない」と考えていた私ですが、それにはまず「しっかり本当の意味で休む」ことが大事だと思いました。
本当に休めれば心身ともに回復しますし、そうすれば出来ることも増え、今まで不可能だったことも可能になっていくと思います。
なお、自分を責めないという試みは、最初からうまくできたわけではありません。
上手くいかなかった時は、秒針のカチカチいう音を意識して聞いてみたり、「1,2,3,」と数を数えたりして、心が勝手に自分を責め始めないように気をそらしたりしていました。
雨音を聞いてみたり、深呼吸をしながら「い~ち、に~ぃ」と数字を数えるのも効果的でしたよ。あと鳥や虫の声に集中するとか。
何か他のものに気が行っているとうまくいきやすかったです。
つい責めてしまう自分も責めない
「○分間じぶんを責めない」といっても、うまくいかないことも多いです。でもやることは「責めない」ことなので、そんな自分すら責めないのです。つまりは『どんな自分でも許す』という感じです。
つい自責する自分、それをやめようとしてうまくできない自分、また無意識に自責していた自分…全部OKです。オールオッケーなのです。それでいいんです。最初っから上手くやらなくていいです。ていうかできなくって当たり前と思いましょう。
「責めないようにする」のが難しい時は、先ほども書いたように気をそらすのがオススメです。
他のことを考えていたり他のことに集中していたりすると、同時進行で自責するっていうのは難しくなります。そんなに同時に色々考えられないですからね。
……とまぁ、そんなこんなで色々とまとめてまいりましたが、いかがだったでしょうか。
もし「何をやっても休まらず、それにより何も出来ない」というような方のお悩み解決の、1つの案になれば幸いです。