母が2度の突発性難聴を発症しました。治療後である現在、左耳が高度・右耳が中等度の難聴です。
補聴器を付けての生活をはじめたのが今年の3月初旬で、レンタル期間なども入れるともう2か月ほどになります。
補聴器を付けての生活の中で、思ってたのと違って不便だなと感じることや、
お出掛けする中で「耳が不自由な方のことってあんまり考えられてないんだな」「難聴の人への理解が追いついてないな」と感じることが多々ありますので、そのことについてまとめたいと思います。
若い人が難聴だと「聞く気がない」と取られてしまう
とあるクリーニング屋さんに行った時のことです。
その日は店員さんがマスクをしていたもので声が聞き取りづらく、「●月×日に取りに来てくださいね」と言われたのですが日付がちゃんと聞こえなかったんですね。
それで2度ほど聞き返したんですが、何と店員さんに「●月×日って言ってるでしょう!!」と怒られてしまったのです。
その時は母一人でしたので何も出来ずじまいだったそうです。(もちろん今後、このクリーニング屋に行くことがないようにしましたが…)
私自身も感じることがあるんですが、例えば80代だったり、かなりご高齢の方が聞き返した場合、「耳が遠いんだな」と思って大きな声で対応してくれる店員さんは多いです。
でも、見た目がまだそんなに高齢でない場合、「聞く気がない、ちゃんと聞いてない」と受け取られることが多いように感じます。
『まだ50代、60代くらいなら聞こえるはずだ』というイメージがあるのかもしれません。
それもあって「聞こうと思えば聞こえるのに、聞いてない」と思って腹が立ったりするのかなぁと思いました。まぁ店員がそれで腹を立てて客を叱ったらダメですけど…。
母より若い方でも補聴器のお世話になっている方も多くいらっしゃると思いますが、周囲の理解が足りないために嫌な思いをすることもあるのだろうなと思った出来事でした。
音楽がかかっていると聞き取れない問題
飲食店や病院の待ち合わせ室などでは、BGMをかけていることが多いですよね。
そうすると、聞こえなければいけない会話までが聞こえなくなったり、やたらと他人の会話がざわざわ大きく聞こえたりしてしまいます。酷い時は補聴器を外さないといけません。
補聴器が雑音を消す機能もあるんですが、BGMが雑音なのかどうなのかを計りかねるのか、色んな音がする中で必要な声だけを聞き取るということが出来ないんです。
そう考えると、人間の耳ってよく出来てますよね。聞きたい音だけ聞き取って、いらない音は小さく聴こえるという。
普通のことに思えますが、母によるとすごくよくできた機能なのだそうで、そういった自然な聞き取り方は補聴器ではできないと言っていました。
『音楽がかかっていて辛い』ということって、なかなか気付けないことだと思います。でも段差をなくすとか、そういう工夫をするように、補聴器ユーザーにも優しい環境づくりが進むといいなと思いました。
生活の中で不便だなと思うこと
母の家の中での普段の生活で、補聴器を付けてると大変そうだなと思うこともいくつかあります。
・お風呂に入る前に外すのを忘れたら大変
・水がかからないよう注意しないといけない
・補聴器の切り替えが面倒臭そう
・バラエティ番組が聞こえ辛い
・耳の中にできものが出来ると超痛い
まず、補聴器って電池をめっちゃ使うんですよ。割とお金がかかっちゃうので、使わない間は電池が減らないようにするんです。
母の場合は電池を入れてるところをパカッと開けた状態で箱に入れておくんですが、これがいちいち面倒そうです。昼寝する時とか、朝1人でいる間だけ外す時とか。
後は、うっかりそのままお風呂に入ったら壊れますので、水にぬれないってことだけはかなり気を付けてますね。
夏場は出掛け先で、ミストを出して涼しくする機械も多く見かけますが、ああいうので濡れても困ります。完全防水って訳ではないですから、水にはとにかく気を遣います。
母の補聴器はオーティコンというものでオープン3というのを使ってるんですが、「テレビを聞く時」と「普通の生活用」の2種の聞こえ方のモードが選択できるんです。なので、テレビを見る時はポチッとボタンを押して切り換えるわけなんですが…
ボタンが小さく押すのが地味に大変です。耳に付けて起動してから押すので、押しづらそうです。
最後に、できものです。耳に入れっぱなしなので、どうしても耳の中にできものが出来たり、赤くなったりする部分が出てきます。
ずっと補聴器が当たる訳なので、痛いんです。でもつけないと生活できないっていう。
そういう不便さとも日々向き合っている訳なので、大変だなと母を見ていて思います。
耳に問題を抱える方がもっと出掛けやすい環境になったり、周りの人の理解が進んだりするといいな。家族でも、なかなか見えない病気というのは難しい問題で、理解するのはそう簡単ではありません。
せめて私は、外からは全く問題ないように見えても実は問題を抱えている方がいるのだということを念頭に置いて、今後は生活していきたいとな思いました。