最初に言っておかないといけない気がするので書いておきますが、私は特に宗教を持ってはいません。
何かにすがるとか神頼みをするとかそういう感じでもなく、ごく普通の、あんまり信心深くない日本人です(とはいえ御仏壇へのお供えや手を合わせることなどはちゃんとやってますが…)。
そんな私ですが、崩壊家庭に生まれたため、割と長いことメンタル的に苦しんでおりました。
そこそこ回復して文章が読めるようになった頃から、心理学を独学で学び始めました。そこで「潜在意識(せんざいいしき)」という言葉と出会い、インナーチャイルドケアを自分で行いつつ、潜在意識も活用してきました。
つい最近なんですが、ダグラス・ハーディングの「頭がない方法」と出会いました。
それで、実際にその方法を試したところ、思っていたよりも劇的な変化があったのです。とは言っても、私自身が変わったという訳ではないような、そう言えるような…なかなか文章にするのは難しいのですが。
指差し実験で体感できたこととは?
ダグラス・ハーディング(Douglas Harding、1909年 – 2007年)は、神秘主義者、哲学者で、多くの著作があることで知られる。
実践することで本当の自分自身を知るに至るという、瞑想の現代的な手法を開発した。彼の瞑想の手法は、一連の簡単な実験を行い、ある物事に対する見方を逆転せざるをえない主観的な気づきを導くという形式で行われる。
引用元:wikipedia
…ということなんですが、私的には彼がどういう人かは関係ありません。ダグラスさんの編み出した実験『The Headless Way(頭がない方法)』に興味があったのです。
これは指を差したり、鏡を使ったりしてその場で簡単にできる実験です。
結論から言うと、どうしても”思考=自分”としか考えられなかった私にとっては、本来の自分・ゼロポイントにいる自分を発見するためにとても良い方法でした。分かりやすかったというか、体感しやすかったです。
ついつい勝手にわいてくる思考や感情に振り回され、それらこそが自己であると思い込みがちでしたが、それとは違った感覚に気付くことが出来ました。
…それにしても言葉で説明するのが難しいですね(;´∀`)
また、私にめっちゃ近寄って見た時、細胞となりもっと小さい原子とか分子になり…それでもそれは私なんですよね。私の細胞なんだし。そういうことを考えると、「自分」というものの曖昧さに驚かされます。
私の身に起こった変化とは
実験中、自分がどこにいるか、確かにいるけどそれは果たして今まで知覚してきた自分なのか、外から見た私こそ自分であると思っていたなどなど、いろんな考えが頭に浮かびました。
そして目を瞑る実験のところで、自分の中心に入っていくような感覚を覚えました。
それは他者から見た公的な自己ではなく、私的な自己であり、それ自体には「引きこもり」とか「30代」とか「ダメ人間」とか、そういうものは一切くっついていませんでした。
なぜかそれを感じた瞬間、体から心が離れてしまうような変な感じがしました。背中がゾクッとして、それはまるでジェットコースターで高いところから急に下へ落ちた時のような、無重力を感じた時のような感覚でした。
一瞬「ヤバイ」と思いましたが、少しの恐怖をやり過ごしてみます。そしてその今まで気づいていなかった自分自身?なのか何なのか、とにかくこの中心にあるものを感じてみました。
それは自分のような気もしたし、自分でない気もしました。
そもそも私が知覚していた「自分」って、あれこれいらないレッテルが張られていました。過去の記憶も色々付いてました。でもそれらは本来はないものというか、私ではないというか。
最初は怖かったのに、すぐにとても落ち着く感じがしてきました。
暗いけど暗くないというか、不思議なくらいに落ち着いていて、凪いでいて、何もなく、何もかもがあるような……言葉にするのは難しいですが、不思議な安堵感のある感覚でした。
その日はそのまま感覚が普段の感覚に戻らなかったんですが、もう寝る前だったので問題なく、淡々と支度を済ませて寝ました。
多分、外から見たら私は全くの無表情だったと思います。顔は多分、真顔のままでした。
何かに心を不安にさせられることもなく、将来の不安を考えるでもなく…そうです!なんて言ったらいいか分かりました、今。いつも頭の中を勝手に流れる雑音が一切消えていたんです、その時。
勝手に流れる思考が止まる場所?瞬間?
頭の中では、いつも勝手に思考が流れてます。勝手にしゃべる続けるラジオみたいな感じで。
瞑想や座禅なんかは、その心の声をとめたりしますけど、私はそれがうまくいかずすぐに投げ出して続けられていませんでした。
ですが、頭がない方法をやってみたことで突然、勝手にいつも流れている声が止まったのです。それは寝るまでのごくわずかな時間でしたが、不思議な体験でした。
思考がないので不安にさいなまれなかったし、でも面白いとかあれをしたいこれをしたいっていう欲求とかもなく、ただひたすら凪いでいました。『平穏』っていう言葉が一番しっくりくるかなと思います。
それは、思考が止まる場所に行ったということになるのか、思考が止まった時間を過ごしただけなのか分かりません。
でもいつも感じる「このままじゃダメだ」とか、「もっと何かしないといけない気がする」「変な焦燥感がある」とか、そういうものがなく、かといって多幸感におぼれるという訳でもなく、淡々としていたように記憶しています。
…うん、『平穏』という言葉の他には『淡々』がしっくりくるなぁ。
とにかく淡々としてました。うわぁ~すごい!めっちゃ幸せ★とかそういうのは一切なかったです。ただただ何の起伏もない感じで、でもそれが心地よかったというか。
昔は離人症も患っていましたが、ちょっとそんな感じに似てたかも。でもそこからマイナス部分がスコーンと抜けた感じでした。代わりにプラスもない感じもしたけど。…いや、恐怖や恐れがないので、ある意味それこそが安心感であるとも考えられますが。。
でもとにかく『「何も感じない」を感じた』ような、『「全てがここにある」を感じた』ような。変わった感覚だったなぁ。
急な周囲の変化と心の変化
そんなこんなで翌朝を迎えました。
その日は私には何の変化もなかったんですが、そして朝起きたらまったくいつも通りに思考や雑念が頭の中で自動的に流れてましたが、私の周囲で変化が起こってました。
親戚が急に海外でしばらく過ごすことになったんだとか、知り合いが入籍したとか、そういう知らせが入りました。
どちらも、その日の朝のうちでしたので、「うわぁ~けっこう急に色々変化してるなぁ」って思いましたね。あとは親と親族、祖母の介護関係で起こっていた問題が動き出したりもしてました。
そうこうしているうちに、なぜか私は今まで蓋をしていた感情と向き合うことになってました。
今までちょっと無理してポジティブでいたからなのか、心の奥底にまだあったどす黒いものが出てきて、それで昨晩とは打って変わって精神的な波がドーンと押し寄せていました。
ただ、それに飲まれることはなかったです。そもそも、距離が遠く感じました。俯瞰(ふかん)で物事を見ている時のような。
なので、過中にはおらず、遠くから全体像を眺めている感じでした。
特に泣く訳でも取り乱すわけでもなく、淡々と自分の思いを書き出して読んでみました(手書きだと遅いのでキーボードを打ってメモ帳に書き出してました)。しっくりきたところで終了です。
一言でいうと「なにもかもがどうでもいい」という感覚になりました。
それは「どうなってもいい」っていう意味合いではなく、なんというか、本当にどうでもいいというか…「何かをどうこうしようと思わない」「これでいい」という言い方にすると分かりやすいかもしれません。
アレをこうしなきゃ、コレをああしなきゃ、みたいなのが消えて、そのままでいいというか、どうこうしようとは全く思わなくなったというか。。。
むしろ「ただそうある、そう存在しているだけ」なので、それを変えようとかは必要ない気がするというか、「そのままでいい」っていう感じになりました。そしてまた指差し実験をやってみて、あの平穏無事なところへ行ってみたかったんですが、昨晩ほどは入りこめてないまま終わりました。
急にフットワークが軽くなったが負担は感じない
更にその翌日、急にやる気が出て、今まで滞っていた大掃除が進みました。体を動かすのが億劫だったのが、動かしたくなっていました。
でも動かしすぎるわけでもなく、やることをやったら休憩して…そんな普通の1日って感じでした。
あ、でも実験後はなんだかフットワークが軽くなったかも。
例えば食器を洗うのでも、食べ終わってすぐにサッと洗うのが心地いい感じです。面倒だから後回し!っていうのじゃなく。かといって後回しにしたらダメな気がして気になるとか、そういう訳でもないんですけど。
体が動きやすいっていう感じかな。。やろうって思ったらすぐ行動に移ってるなぁと思います。
とはいえ、これを今後ずーっと一生続けて行かなきゃいけないって気もしてないですし、そんな常にハツラツとしてなくってもそれはそれでいい気もするので、負担にはなってないですね。
また、『自分は恵まれてるんだなぁ』と思うような出来事も周囲に起こりました。起こったっていうか、すでに起こっていたことを聞いたのがその日だったんですが。
またしても私じゃなく周囲への変化ですが、やはり今までに比べるとめっちゃ速いスピードで周囲に変化が起こってるなと感じます。でもそれが怖くない。かといって変にテンションが上がるでもない。まったくいつも通りの日常が淡々と続いています。
そんなここ数日間。私的には変化が多いなって思ったのでこうして記事にまとめてみました。
でも「ただの実験」と思って、そんなに意気込んでやることもないかなーとは思う。何か現実に変化が起こるかどうかを見張るのが目的ではないですからね。それだと現実に何かを起こすためのメソッドになっちゃうし。
これは単なる実験なので、軽い気持ちでいいと思うし、別にやってもやらなくてもいいと思うし、やって何も起こらなかったり変化がなくてもそれでいいんだと思います。
「ダグラス・ハーディング」で検索するとyoutubeにも動画があるし、実験を紹介しているサイトもありましたよ。無料で学べるのは有難い…でも書籍があったら今度買おうかな。今のところ絶版になった本がめちゃ高くなってて手が出ないですが。。
今後また何か変化などあったら、そのうちにまとめますね~