機能不全家族に生まれた私は、毎日、実母に虐待されながら育ちました。それが当たり前で、それこそが『家族』であると思っていました。
そんな私は中学生の頃から腹痛が酷くなり、年に4回ほどは急性ストレス性胃腸炎で病院に行って点滴を受けるようになっていました。ちなみに点滴は、下痢嘔吐により脱水症状を起こす為です。その後は胃腸薬でなんとかごまかす感じでした。
数年かけて体調は悪化し、微熱も数か月間下がらず、ご飯もなかなか食べれなくなりました。
とうとう学校にも塾にも行けなくなったのが高校生の頃ですが、それを理由に虐待は酷くなる一方でした。
その頃受けた診断はややこしく…というのも、例えばうつ病だと眠れないじゃないですか。そうなるとうつ病と診断される場合もあるし、不眠症と診断名が付く場合もあります。
私には『うつ病』とか『過敏性腸症候群(IBS)』とか、『解離性障害』『離人症』『広場恐怖』とか色々な診断名が付いていてややこしかったです。
でも、症状はいつも同じでした。それに医者が勝手に診断名だけ付けてる感じでしたね。
引きこもり時の主な症状
病名はともかく、主な症状としては以下の通りでした。
・体中が痛い
・光が痛くて目が開けられない
・体を起こしていられない
・急に体の一部が脱力する(歩けない、起きれない)
・腕や手のけいれん
・急に体全体が脱力する(倒れ込んだまま動けず)
・めまい
・低血圧、低血糖
・体中を何かがはい回るようなムズムズ感
・不審者が廊下に潜んでいる音が聞こえる
・常にお腹の調子が悪い、消化不良
・ご飯を食べたなどさきやったことを忘れる
・自分、家族が誰か分からない
・急に暴れるらしいが覚えていない
・突発的に自殺を図るが覚えていない
これらの症状は15年以上続きました。
驚くことに、これらが治るきっかけになったのは『諦め』と『開き直り』でした。
バカ真面目で絶対に逃げるのが嫌だった
小さい頃の私は、まさに「バカ真面目」でした。
曲がったことが嫌い、ウソは絶対にどんな小さなことでもつかない、悪いことをしたら罰されて当然だなどと思っており、それは例外なく自分にも向けられました。
つまりは「私が産まれたせいで母を不幸にしたので、自らを罰し続けなければならない」などです(母に直接、お前が産まれたせいで私は不幸になったと言われたのがきっかけだと思います)。
逃げることはダメと思っていたので、自分で自分を罰し続けることから、自分を逃がすことなどありませんでした。物心ついた頃から実母による折檻はありましたし、その後は自分で自分に罰を与えていました。
今になってよく分かります。
断言しますが、『自分で自分を責める』『自分で自分を罰する』…こういった行為こそが、多くの私を襲った症状を引き起こしていました。
(※あくまで私の場合であるので、他の誰かに当てはまるかどうかまでは分かりません)
私は、精神論が大嫌いでした。
「考え方を変えよう、そうすれば事態は変化する」こういった考えには大反対で、結果主義でした。今思えば母の影響でしょう。
「頑張ろうがテストで満点が取れず98点しか取れなかったのは事実であり、それは努力が足りなかった結果であるので頑張ったとは言えない。つまり頑張ったつもりではあったが私は実際には頑張っておらず、勝手に頑張った気になっていただけの愚か者であったのだ」というような感じですね。
音楽のテストで80点を取ってしまって、土下座して泣きながら謝ったのを思い出します。あの時は切腹も辞さないくらいの覚悟で謝りましたから、いまだに記憶に残っています。
本当にあきらめたら、道が開けた
不登校のまま家の外へ一歩も出られなくなり、病院すら通えなくなって薬の離脱症状で苦しんでいました。
職歴も何もなく、大学も中退し、働いた事すら一切ないまま20代後半の年齢になっていました。今まで何度も自殺未遂をしたものの、さすがにこれは人生終わりだなと感じていました。
ある日、私は全てを諦めました。
日時や場所、これなら確実と思われる方法などを決定し、しかしそれを決行するには時期が合わなかったので、あと数か月間は生きていないといけないといった状況でした。
お年玉などを貯め続けた貯金は20万円ほどあり、それを全て使いきってから決行しようと思いました。
本当の本当に諦めたものですから、私は母をスルーすることにしました。
だってもう怖くなくなったんです。…いえ、本当の本当は怖かった。クセのようなものだったと思います。あれは危険だと体が分かっていたので怖かった。
でももういいやと思いました。だってもう終わりですから、何を言われて何をされようが、どうでもいいのです。物理的に大怪我をするような攻撃はしてこない人だったというのも幸いしました。
まだ心の中に『母のために頑張りたい』『母を喜ばせたい』『母に謝りたい』『母に許してほしい』というような思いもありつつ、スルーを開始しました。
心の持ちようの変化により勝手に考え方に変化が起きた
今までは自室で横たわり、洗濯機の中に放り込まれたかのようにグルグルと回るようなめまいに耐え続けている時でも、母の気配を感じれば自動的に「申し訳ない、寝てばかりで役にも立たない、すみません、ごめんなさい、罰を与えますから許して下さい」という風な考えが頭をよぎっていました。
しかし、完全に諦めた私の考えは、勝手に変わってしまったのです。
「どうせ私が何を考えていようが、母にそれは伝わらない。一切罪悪感を抱かずグーグー寝ていようがいいじゃないか。どうでも。どうせもう終わりにするんだ、どうにでもなったらいい」
「母に責められようが知ったこっちゃない。体が辛いのは嘘じゃない本当なんだ。母にとっては大嘘だろうが知るか。私は本当に痛いんだ、体が動かないんだ。どう言われようが何をされようが知るか。何かされたら暴れて部屋から追い出してやる」
意外なことだったんですが、ちょっと考え方が変わるだけで、不思議なもので少し休めるようになりました。
今までは安全な場所など家の中にも家の外にも一切ありませんでしたが、自分で自分を罰したり責め立てるのをやめて開き直ったおかげで、自分自身の中に安全な場所を見つけました。
24時間休みなく自分を責めていた言葉が少しでも止んだら、その間に少しだけリラックスできました。
今まで自分をさばいてきましたが、生きることを諦めた時、やっと自分をさばくことをやめられたんです。『許す』には程遠いですが、「辛いから横になってるんだ、なんか文句あっか」という感じで、少なくとも自罰の回数が減りました。
開き直ったら自分が自分の味方になった
今まではずっと母に、喘息の発作が出ようが胃腸炎で脱水症状を起こそうが、「大げさ」「しんどいフリだけ上手いんだから」「そうやって私に迷惑をかけて」「どうせ嘘でしょう」と言われてきました。
私はまだ幼かったため「そうか、このしんどさは嘘なんだ」と馬鹿正直に信じ込みました。
それからは、熱が出れば「学校を休みたいから熱を出すなんて、私はなんて卑怯な人間なんだ」と自分を責めてきました。お腹の調子が悪くなれば「学校をサボりたいと思っているに違いない。なんて汚い考え方をするのだ私は」と自分を余計に嫌いになりました。
開き直ったことで、それらの考え方が変わりました。
「どうせ頑張ろうとしたって横になることしか出来ないような状態だ。もっと頑張るべき?そんなの知るか。もうどうでもいいよそんなの。無理なもんは無理なんだよ。本当に動かないんだよ体が。めまいで起きれないし、腕も足も動かないし…母になんて言われようが知るもんか。嘘ばっかりついてって言われたっていい。どうでもいい」
今まで、自分の体の調子が悪いことを信じてあげたことなど一度もありませんでした。
皮肉なことに、命を諦めて開き直ってから、初めて自分の言い分を聞いてやれるようになったんです。『諦めるのはダメ』『開き直るな』と言われることも多い世の中ですが、当時の私の場合は、そこにトンネルの出口がありました。
面白いものですね。
そんなこんながキッカケになって色んな症状が消えていくわけなんですが…ここからまた数年かかりました。
今もまだ残ってる症状もありますが、なんというか、治す気もないし治らなくても問題ないので、気にもしてません。それくらいの小さい症状しか残ってません。
病気が酷い頃は、「頑張ったら良くなるはず。良くならないのは頑張っていないからだ」と信じ込んでいました。
私にとって、「頑張らない」で思いっきり「しっかりと休む」ことが正解だったようです。あと「開き直って自分を責めないこと」も。
本当の本当に諦めたら、終わらせる必要すらなくなってしまいました。
諦めてなかったからこそ、終わりにしようと考えたのかもしれないですね。でも、本当に終わらせることに決めたから、本当に諦められたんでしょうか。
ガチで諦めたら、人生終わらせる必要すらなくなりました。そんな感じの体験談でした。